ブライダルサロンHISAYOを立ち上げたきっかけ
私が結婚したのは21歳の時でした。気づけばもう27以上です。当時私は某メーカーの美容部員でした。主人は無職!!保険では私の扶養家族でした。でも主人には当時目標がありました。「お店がしたい!自分のお店が持ちたい!!」この人はきっといつか自分の夢を叶える!私は確信していました。
しかし、なんの実績も業績もない私達に借金をさせてくれる銀行はありませんでした。たった二人、わずかな資金でスタートしたのはフランチャイズの小さな焼鳥店でした。オープン当日 所持金がゼロになり、つり銭がなくあわてて祖母に5万円借りたのを今でもよく覚えています。がむしゃらに寝る間も惜しんで働きました。自宅での食事は全く出来ず、ただ死ぬように寝に帰る生活でした。しかし、一人、又一人とスタッフにも恵まれ、お店はいつも常連さんと笑顔で満タンでした。
それから二年半、フランチャイズからの独立という目標を達成。「笑い屋」を立ち上げました。「東九条での笑い屋」が今の私達の原点です。あたたかく熱い常連様に見守られながら 体の中は商売100%で成り立っていた様な気がします。商売といっても原価なんて考えたことがありませんでした。「どうすれば喜んでもらえるか?」「どうすればもっと美味しくなるのか」本当に雨の日も嵐の日も大雪の日も関係なく毎日が祭りの様な忙しさでした。
この頃からですかね・・・常連さん同士を組み合わせてあげてコンパの様なことをしていました。当時婚活なんて言葉はありませんでしたから。登録ノートがあり、悩みながら組み合わせを考えていくのです。沢山カップルが成立し結婚した子もいました。「笑い屋」を起業して2年ほどで法人化。更に2年程した頃から「いずれは地元で商売したいなぁ・・・」と思い始めました。
主人は祇園、私は寺町の商店街の中という京都のど真ん中で生まれ育ちました。そして新たなる夢がでてきました。「土地ごと手に入れ、地元に笑い屋を作り、笑い屋ビルを手に入れたい!!」今思えば当時願うには身の丈をわかっていないはき違えた夢だったのかもしれませんが、私たちは強く強く願い始めました。
「保証人もタンポもなしに自分達の力で手に入れたい」数年がかりで税金を必要以上に収め土地について調べまくりました。競売にも何度もトライ、縁が無く何度も泣きました。古家の地主さんに飛び込みでアタックしたりもしましたが、何をしても話は進みませんでした。あきらめかけていた頃、友人からの情報で今笑い屋のある四条富小路の物件と出逢い、縁があり手に入れる事が出来ました。笑い屋ビルとまではいきませんが達成感でいっぱいでした。商売をして22年以上になりますが、今でも初心を忘れず日々勉強、日々努力で奮闘しています。
夢を思いに!願えば必ず形になる!強く思う事。身を持って私の人生で経験したことです。